ヨーガをする上で必ず外せないことで、自分も追い求めるのはそこだし生徒さんにも探してもらいたいポイント。
だということに、このところ気付き始めました。
この1年、ってまだ終わっていませんが、これまで何度か悩んで気分が落ち込んできた中で見えて来たのです、不意に。
自分の「色」や「持ち味」として出して行ってみようかと、最近はどんなレッスンでも「心地良さ」を見つけてもらうようお伝えしています。
日々実践中。
生徒さんたちがどんな風に感じておられるのかわかりませんが、レッスン後のお顔を見る限りではなにかしら「心地良さ」を感じてお帰りになられているようにお見受けしています。
で。
その「心地良さ」を確定づけた出来事。
それがシータマのワークショップでした。
シヴァーナンダヨーガのクラスは幾度となく受けていますが、インドでトレーニング中に受けたスワミジたちのクラスと、シータマのクラスはいつも格別なんです。
今でも、そのクラス中の空気感を肌にまざまざと思い出すことができます。
(まざまざ。ちょっと、そういう表現をしたかった。笑)
なんでなんやろ。
シークエンスが決まっているので、言ってしまえば流れを覚えたら誰でも「シヴァナンダヨガ」のクラスができるはず。
なんだけど違うんですよね。
教える人が違えばそれは当たり前のことかもしれませんね。
その人がヨーガに対してどういう想いを持っているのか。
どんな先生に教わり、どんな学び方をして、どうやって深めて来たのか。
さらに、その人の価値観も丸分かりになります。
何を大事に思っていて、どういう経験をしてきて、どう生きて来て今そこに立っているのか。
生徒さんには生き様まですべてが伝わってしまうんです。
私が生徒としてクラスを受けるときも、やっぱり先生のお人柄や、どんな風に考えられるのかを見ているような気がします。
そこで、「この先生のこういう考え方好きだな〜」と感じる先生のクラスは、絶対に次も受けたくなる。
どこかでお見かけしたスワミジのお写真。Jay! |
私が教える人として前に立っているときは、特に初対面の生徒さんたちは、私がどんな人間なのか見定めておられるだろうと思います。
以前は、それが身ぐるみ剥がされてさらし者にされたようで、恥ずかしくて、見せたくない!と感じていたこともありました。
それを経ていつの間にか「これが私の丸裸ですどうぞ〜!」とお見せできるようになり。
「私ね、心地良いのが好きでそれを探しに行こうとしてるんですけど、ご一緒にいかが?」と持ちかけているのが現在。
シータマは愛の人、アジャストも深い癒しの愛でした。 |
先日のワークショップでシータマが仰っていました。
「ブッダの声はきっと心地良かったはずなんですよ」と。
はるか離れたところにいる人の耳にもブッダの声が耳に届き、自然とたくさんの人たちがお話を聴きにブッダの元へ集まって来た。
ブッダが「自分は満ち満ちている」というセンスを持っていて、そのセンスに溢れている人が発する音も満ち満ちていて心地良かったはずなんだ、だからみんなの耳に届いたんだ〜と。
そうか、そうなんだ、そういうことだったんだ!とストンと腑に落ちました。
自分は満ち満ちた存在である。
サットチットアーナンダ。
そう感じることは、とても心地良い。楽です。
たしかに、その感覚を持っている方は、そばにいると心地良くてもっとずっと近付きたくなる、何度も何度も会いたくなる。
シータマもスワミジも、そんなお一人。
いつでもお会いしたい、そばにいたいです。
だから私も、人に「この人心地いいな」と思われるインストラクターになろう。
っと心に決めた秋の一日でした。
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