2017年5月31日水曜日

許すということ

昨日の投稿。
許す、ということについて書きました。
さらに書きたいことがあるので続きます。

「許す」って、どういうことなんでしょうね?

辞書を引いてみましょう。

希望や要求などを聞き入れる。
過失や失敗などを責めないでおく。
義務や負担を免除する。
相手がしたいようにさせる。まかせる。
そうするだけの自由を認める。
警戒や緊張状態をゆるめる。うちとける。
高い評価を与える。世間が認める。
引き張ったものをゆるめる。

こんな意味があるそうです。
デジタル大辞泉が、インドの聖典ヴェーダーンタのように思えてきました。

聞き入れる、責めないでおく、免除する、まかせる、と意味にあるからには、そこにはふたつの立場が必要になります。
許す側と、許される側。
相手と自分、それよりも、自分に対して自分が許すことの方が難しい場合が多いかもしれませんね。

昨日の投稿のあとモンモンと考えていて、はたと思い出しました。
ヴェーダーンタの知識の中で、人生のゴールについての話題があります。
人生のゴールは4つあるが、その中でも究極のゴールはモークシャと言われています。
モークシャ。
あらゆる悩み、苦しみ、悲しみから解放されて自由になること。
完全なる自己受容。自分にOKを出すこと。self contentment。

私はこのモークシャについて初めて学んだとき、これだ!と思いました。
これを求めて私はヨガに辿り着いたんだ、とビビビと電流が走ったのを覚えています。

自分自身にOKを出せず、それこそ自分の希望は一切聞き入れずに我慢、過失や失敗は自分でとことんまで責め立てて、義務や負担は引き受け続け、したいようにすることも自由を与えることもNO!、常に警戒緊張しまくりーので自己評価はalwaysマイナス、というような異常なマインドの硬さがありました。
まあ、好きなことは常にしてきたのですが、それも何かを見つけたくて探し求めていろんなことに手を出してみていたんでしょうね。

そういうマインドから自由になりたくて、見つかったのがヨガ。
ヨガをしているときはリラックスできて自分がプラスもなくマイナスもなく、ニュートラルになっているのが心地良かったのです。
それに惹かれてヨガを学び始めてモークシャを知って、これこれ〜これやねん!これやってん探してたのは!となりました。

あるとき、私が自分にOKを出せなくても私は許されているじゃないか、と思ったことがあります。
今ここにいることが、許されている証。
自分にOKを出すのは自分じゃない。
もっと大きくて(正確には大小もないんだけどイメージです)ずっと変わらないもの、宇宙なんだ。
宇宙が、全知全能の神が、大きな力が、私がここにいることをOKして許してくれている。
自分が自分にOKを出してても出せてなくてもいいし、そもそもOK/NGを出せるのは自分ですらないじゃないか。
そう思い至ったとき大号泣しました。
モークシャが私の中で落とし込まれ、見えないなにか大きな力にsurrender、明け渡した瞬間でした。

モークシャを知るだけで、楽に生きていけるようになります。
みんなにもそれを知って楽になってほしいなと思っています。
今はまだ上手なお伝えの仕方ができず、自分の体験談をお伝えするのみなのですが、いつかきちんとお話していけたらなと思っています。

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